マイ・ペースな奴ら

「マイ・ペース」オフィシャルブログ、1974年「東京」のヒットから。再び活動を始めた、森田みつぎ、伊藤進、根次男、サポートメンバーhiroko、の活動とニュース

2011年04月


東北は胸を張って豊かな知恵の文化を基盤にした新しい国を作りましょう。

新しい東北は世界の希望になるでしょう、立ち上がる力があるのは既に歴史が証明しています。


一緒に!東北!


NHK歌謡コンサート たくさんの方に「見たよ」と声を掛けていただき、メールも実にたくさんの方から頂きさすがNHK、反響の大きさは凄いものです。

震災後妙に落ち着かない日々を過ごしていたのですがマイペース3人もようやく次に向けてまた動き出しております。
とにかく新しいことを完成させたいと焦る気持ちばかりが先に立ちバタバタしていたのが少し落ち着きました。
この年に活動を始める意味があったのを実感

頑張るよ お楽しみに



大震災の後、暫らく何も出来ない自分がいましたが、ようやく目が覚めたように作り始めました。

昨年からオリジナルマイペースの本格的な活動再会とともに、マイペースサウンドの再構築を模索しておりました。
山平和彦のバックバンドとして「民謡」の素材を元に自分達の感性で新しい音楽を作ってはいたのですが正直「話題作り」の部分もありフォークソングから見た 民謡のエッセンスを自分達なりに楽しんでいたのですが。 実は森田も根も民謡には小さい頃からもっと深くかかわっていたので、あくまでも「民謡のようなも の」で遊んでいただけのような気がします。

今改めて自分のルーツや原風景を辿ると、もう少しはっきりと民謡の核となる東北の心が見えてきているような気がしていました、が、完全にそこに入り込むにはもう少し時間がかかるような気がしていました。

正直震災の後、ほとんど出来ていた曲も気に入らなくなって、ある時震災のニュースを見ながら「プツン」と心の中で何かが切れたような感覚を覚え、アレンジを一挙に変えました。
東北の祭は必ず今年も行われるでしょう!自粛は絶対にしないでしょう、そこに東北の魂が凝縮されている。奪われ、虐げられ、変えられ、続けた東北の心は今や祭りの中だけに脈々と受け継がれているのかもしれません。
私のその心にも火がついてしまったようです

新曲を楽しみにしてください
森田

秋田県南秋田郡飯田川町、昭和町、(現在は潟上市に合併)学校組合立「羽城中学校」3年1組(伊藤進、根次男、佐藤勝彦、菅原省一、森田貢、)高校時代 フォークソングの洗礼を受ける。その頃(1970年)秋田のアマチュア音楽シーンの中心にいたのが「山平和彦」中学の先輩でもあり「あきたおんがくくら ぶ」の活動に参加し始める。(リップス)の名前で、オリジナルを含め高石知也アリスなどの曲を、コーラスアレンジをして楽しんでいた。山平氏のバックバン ドを…という話になりメンバーも3人(伊藤、根、森田)になり、「マイペース」結成。
高校卒業、公務員試験を受け地元の大学2部に行きながら仕事をしていた森田が。国立高専の伊藤と病気で一年留年した根を待って、1973年秋田を出て山平和彦のバックバンドとして東海地方に向かう。
名古屋に着きすぐに、とある画家(今や超有名)のお宅に居候を始めるが環境のすさまじさに家探しを始める。岐阜市に素敵なマンションを見つけ移動、レンゲの花に囲まれた白いマンションで共同生活が始まる。
以下中日新聞原稿より「1973年東海ラジオの深夜番組(ミッドナイト東海)のディスクジョッキーを始めていた山平和彦(秋田出身)の元へ秋田時代から バックバンドをしていたマイペースが岐阜市に移り住んだ。と言うのが真実なのだが、本当はこんな説明をしてもあまり意味のない事なのだと思う、「マイペー ス」と言えばそれはそのままヒット曲「東京」を意味する、95%そうなのだ。べつに自嘲している訳ではない、それほど楽曲そのものにパワーがあったからな のだと解釈し ている、そして「東京」 ヘ名古屋だからこそ生まれた曲なのだから….。
合宿生活だった。メンバー、マネージメントをする銀次身の回りの世話役を買って出てくれた八重美ちゃん(皆「ばぁや!」と呼んでいた….失礼な!)手打ち のコンサートに明け暮れ、夜毎の盛り上がりは終わりを知らなかった、練習はいつも突然始まった、体も心も活力に溢れていた、皆が毎日熱かった。」

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秋田県潟上市羽城中学校の同級生である、森田貢、伊藤進、根次男らが結成。

1974年に3人組「マイペース」として、10月25日にシングル『東京』でメジャーデビュー。ロングセラーとなる。[1]

1975年、シングル曲「東京」を含むアルバム『とうきょう』を発表。

1976年、シングル曲「望郷の街」発表。

1977年、シングル曲「夕日の町」発表。アルバム『MY SPACE』発表。

1978年、シングル曲「乾杯」発表。根次男がグループを抜け、活動休止状態になる。

2010年、「やり残したことがある」と活動を再開。

2011年4月12日、『NHK歌謡コンサート』(NHK総合)に出演し、『東京』を披露する。

代表曲「東京」(森田貢 作詞・作曲、JASRAC作品コード055-6109-4)は、BEGIN敏いとうとハッピー&ブルー丸山みゆきなど、多くのアーティストによってカバーされている。

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