序
山に入ると”やる気”が出て来る。いきなり何の脈略も、きっかけも、予感も、意気込みも無く”よっし!”と、とりあえず気合いが入る。漁師が海に向かう時の気合いでも、山菜取りの興奮でも無い。私は登山をする訳ではない、達成感や充実感を求めての”やる気”でもない。
私が生まれたのは秋田平野の北側から海に突き出した「男鹿半島」の付け根に在る小さな町だ。 海までは、八郎潟(干拓されて今は無いが、残存湖が僅かに残る)を迂回しても7~8kmだが、子供の頃は常に意識は山の方を向いていたようだ。
生家の近くの森からどんどん東に入って行けば、奥羽山地に深く入り込み、田沢湖、八甲田、安比高原、岩手山、.... 勿論そんなふうにして行った事は無いが、イメージはあった。 小学生の頃から時々一人で森に入って遊ぶ様になった、最初はほんの少しだけの冒険(山は恐い) 中学、高校、その後も生家に帰る度に時々、自分の中では儀式の様に必要な手続きの様に、山に入った。
山はいつも恐かった、町の暮らしとは違う神経を澄ましていなければ、たとえ知っている道でもなかなか奥へは進めなかった....。
時々はわざと迷ってみたり、谷へ降りたり深い林に入り込んだり。 そうしているうちに漠然と肩を重くさせていた迷いや不安、頭の上にかかる霞がはっきりと形をとって見えてくる。時には尾根に立ち止まり、時には大きな木の下に座り込み、又時には山道の途中に立ち止まったまま ”よっし!”.... 唐突に自分の迷いを断ち切った瞬間、Uターンをして山を降りる。歩いてきた道が同じ道とは思えない程明るく、輝いて見える。 町へ出る私の背中を、山の気が激しい瀬の流れの様に私を押し出す。 勇気の塊となって私は山を出る....。
続く (別ページに掲載しています。今回はその1までです)
山に入ると”やる気”が出て来る。いきなり何の脈略も、きっかけも、予感も、意気込みも無く”よっし!”と、とりあえず気合いが入る。漁師が海に向かう時の気合いでも、山菜取りの興奮でも無い。私は登山をする訳ではない、達成感や充実感を求めての”やる気”でもない。
私が生まれたのは秋田平野の北側から海に突き出した「男鹿半島」の付け根に在る小さな町だ。 海までは、八郎潟(干拓されて今は無いが、残存湖が僅かに残る)を迂回しても7~8kmだが、子供の頃は常に意識は山の方を向いていたようだ。
生家の近くの森からどんどん東に入って行けば、奥羽山地に深く入り込み、田沢湖、八甲田、安比高原、岩手山、.... 勿論そんなふうにして行った事は無いが、イメージはあった。 小学生の頃から時々一人で森に入って遊ぶ様になった、最初はほんの少しだけの冒険(山は恐い) 中学、高校、その後も生家に帰る度に時々、自分の中では儀式の様に必要な手続きの様に、山に入った。
山はいつも恐かった、町の暮らしとは違う神経を澄ましていなければ、たとえ知っている道でもなかなか奥へは進めなかった....。
時々はわざと迷ってみたり、谷へ降りたり深い林に入り込んだり。 そうしているうちに漠然と肩を重くさせていた迷いや不安、頭の上にかかる霞がはっきりと形をとって見えてくる。時には尾根に立ち止まり、時には大きな木の下に座り込み、又時には山道の途中に立ち止まったまま ”よっし!”.... 唐突に自分の迷いを断ち切った瞬間、Uターンをして山を降りる。歩いてきた道が同じ道とは思えない程明るく、輝いて見える。 町へ出る私の背中を、山の気が激しい瀬の流れの様に私を押し出す。 勇気の塊となって私は山を出る....。
続く (別ページに掲載しています。今回はその1までです)